とってもおもしろいぶろぐ。

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3への油断に気をつけろ

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ルイージマンション3の広告の、三度目の掃除機、という文言に、なるほどうまいこと言いおる、などと感心している時、ふと思うことがあった。


日本には3に考えの拠り所を求める言葉がチラホラある。こと恋愛関係では、3回目のデートで告白だとか、給料3ヶ月分の婚約指輪をとか、女は喜ぶが男は泣きを見る設定にされている。


例えば、ある人とばったり会ったとする。2回目は偶然でも3回目となると運命を感じ始めたりする。そのあとはもう、4回会おうが5回会おうが必然なのである。


それが諺でも、仏の顔を拝めるのは三度までだし、二度あることも三度あると決まっている。また、三途の川や、丑三つ時など、何かの境目には3が用いられることが多い。漢数字を見ても、三までが横棒で四からは形が異なる。


その一方で、お隣の2はどうだろう。


2階から目薬だとか、天は二物を与えずだとか、二兎を追うものは一兎をも得ず、だとか、2はどちらかというと好ましくない状況や結果に抜擢されている。


武士に二言は無い、という言葉も一見すると固い決意を表す誠実な表現に思われるが、心変わりしたら1発アウトということだ。周囲からのプレッシャーが半端では無い。二度あることは三度ある、と3に対しての許容範囲は広いというのに。果ては、三度目の正直、という希望に満ちた眼で見られることまであると言うのに。


そういえば、カレンダーを見ても2月だけは1ヶ月に与えられている日数の取り分が少ない。2はこの不遇な扱いについて、一体どう感じているのだろう。時に、二の足を踏まれたり。ちょっと痛そうである。 


こうした現状を鑑みると、私は2への同情を禁じ得ない。23の間には価値の隔絶があるからだ。


一体何が3をこんなに格付けているのだろう。再三考えてみたが何も思い当たらない。


数年前、世界のナベアツというお笑い芸人がいたが、彼は3がつく数字でバカになる、というシュールギャグを披露していた。


これは私たちが3という数字を無思考に信頼してしまっている危機的現状への警鐘を鳴らす、いわば社会通念へのアンチテーゼとしての高度なギャグだったのではないか。


彼は、異様なまでに3を持ち上げるこの社会で、たった一人、3をバカにし、声を上げ続けた。そんな反社会的姿勢のためか、ここ数年で彼の姿をとんと見なくなった。恐ろしいことである。


生まれてこのかた、3に囲まれて育った私たちの性格は向こう100年は変わりそうにない。私たちの3信仰はまだしばらく続きそうだ。