イナセナナナメヨミ。

毎日の生活でふと思い浮かんだことを書き綴るものです。徒然草を100倍希釈したものだと思っていただければ。

残高シェイム

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ICカードの利用が当たり前になって久しい。切符を買う手間が省け、電車やバスの乗降がとてもスムーズになり、まさに文明の利器といって遜色ない代物である。


自動改札には、ICカードをかざすと残高を表示する機能が備わっている。開発者にしてみれば、電車を利用する際に残高確認ができる便利機能のつもりなのだろう。だが、この表示の切り替わりが絶妙なタイミングで、人が多い時などは、自分の前の人のチャージ残高が見えてしまうことがある。これはどことなくありがた迷惑だ。


自分の表示残高がわずか数十円だったりすると、いい大人なのにジュース一本もまともに買えない金額しかありませんよ、と指摘されているようで、少し気恥ずかしい。


ましてそれが、自分の後ろに続く人に見られるわけなので、その「なんだかちょっと恥ずかしい」を絶妙に狙い撃ちされている気分である。たとえば同じ残高でも、銀行口座などは誰かに見られて嬉しいものでもないだろう。


私たちは日々、ICカードをタッチした時のピッという音と同時に、人に知られたくない、ちょっとした秘密を強制的に暴露されているのだ。


誰もが振り返るイケメンが目の前を歩いている。まぁ!なんて素敵なのかしら!ピッ。「高校生までお母さんと一緒に寝ていた」


とても綺麗なお姉さんが目の前を歩いている。どうにかしてお近づきになれないだろうか。ピッ。「足し算がおぼつかない」


皆、何食わぬ顔を装い、颯爽と歩いていくが、立つ鳥よりも跡を濁しながら、一点の恥を置いていく。心なしかその後ろ姿は、周りの人達の目から己を守るように、どこか凛としている、ような気がする。


目撃した人にとってみれば、幻滅もするだろうが、それを楽しむ心の余裕も持ちたいものだ。例えば、好きな人がくしゃみをして変な顔になっているところをうっかり目撃してしまった時の、なんとなくがっかりするような、少し愉快なような、あの感じに似ていなくもない。


だが、これがチャージ限度額いっぱいまで入ったカードであると話は別で、私は前を行く赤の他人に畏敬の念を抱いたりする。なんとなくボサっとしたおじさんが、ピッという音の後は、どこぞの社長か、とても優秀な人に見えてくるから不思議だ。男は背中で語り、出来る人は残高表示で語るのである。


いつか私も、限度額いっぱいまでチャージしたICカードをかざして、後ろを歩む人達から尊敬の眼差しを集める大人物になりたいものだ。